9期解説
(9期:奥山 輝明)          戻る

私達9期生は、荒木、奥山、川辺、城戸、諸石の5名の部員で、マネージャーのいない唯一の代です?
実は、マネージャーはいたのですが途中で退部してしまいました。
これは、長く「8期の先輩がいじめたから辞めた」と、噂になっていたのですが、最近、辞めたマネージャーに
会う機会があったので、確認したところ、「全然違う」と話していました。
8期の先輩の名誉のため、念のため記しておきます。

さて、戦績のほうですが、インターハイ予選、国体予選と1、2回戦で負けていたのですが
先輩方の愛のムチともいえる、夏を過ごし支部予選、新人戦と4支部のコート決勝くらいまでいき
あと一歩のところで本大会に出られるくらいの力をつけていきました。
その後、冬を越し、春休みを迎え、当時の4支部の強豪であった、国学院久我山高校や関東高校、永山高校
などと練習試合を積み
※久我山には、2軍が出てきても1セットも取れず、関東や永山には10セットくらいやって1セット
  取れたか取れなかったかと記憶しています。

迎えた関東大会予選ではなんと、久我山のブロックに入ってしまい、高橋先生から組み合わせを聞いたときは
なんと言えない気持ちだったことを覚えています。 
そして、当日は3回戦で久我山と対戦したのですが、相手の調子が悪かったのか、舐めてくれたのか
1セット目を取りました。2セット目は、いきなり4点くらい連取され高橋先生がタイムアウトを取ったのですが
先生の話はうわの空で「あー実力が出てきたなあ」なんて感じていました。
しかし、何がどうなっちゃったのかよく覚えていませんが、点数がせってきて、私たちが試合をしているコートには
もう一方のコートはそっちのけで、「どーっと」他校の生徒が2重、3重に集まりだし、「久我山負けちゃうぞ」
「ヤマトが勝つぞ」とざわめきだってきました。
結果2−0で私たちが勝ちましたが、覚えているのは、「よく拾ったなあ」
「何も考えずに無心でボールを追っていたなあ」ということです。
その後、本大会に行き、1回勝ってBEST16に入り次に勝てば、BEST8で関東大会出場だったのですが
足立東に負けてしまい、関東大会出場決定戦では駿台学園に負け、残念ながら関東大会出場は逃してしまいました。

本大会は初めてで、会場の大きさや雰囲気に呑まれ、力を出せなかった
ことだけをよく覚えています。
近年の後輩も関東大会出場にあと一歩のところだと聞いています。
我々の代もだいぶ歳をとっていますが、微力ながら応援していきますので今後ともよろしくお願いいたします。
また、当時を振り返り高橋先生や諸先輩方にこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
我がOB会は不滅の精神でがんばりましょう